第12回― 旧八女郡から八女市への道


当館のある八女福島地区は、江戸時代からの白壁の町並みが残る「伝統的建造物群保存地区」です。この歴史ある八女福島の建物の中でも明治時代から残る公共施設として唯一現存している施設があります。それが旧八女郡役所です。
今回は建設されて100年以上の歴史を誇る旧八女郡役所についてご紹介します。
『郡役所から軍需工場、そして交流の場へ』 ■旧八女郡役所としての役割前回ご紹介したように、1879(明治12)年施行の郡区町村編制法により、行政区画としての上妻郡が設置され、福島町に上妻下妻郡役所が設置されました。1896(明治29)年には、上妻下妻郡役所の管轄区域を、新しく発足した八女郡が引き継ぎ、上妻下妻郡役所という名称が八女郡役所に変更されました。ちなみにこの建物の天井高は3192mmもあり、当時の建築物では酒蔵に匹敵するほどの大きさを誇っていました。また、当初の八女郡役所は現在の旧八女郡役所とは異なる場所に置かれていたようです。

この旧八女郡役所は八女の近代化への礎が築かれた場所でもありました。1898(明治31)年に2代目郡長の任についた田中慶介が、1899(明治32)年に地方創生のための指針であった「八女郡是」を記しました。その中で八女の農林業、インフラ整備に関する長期計画、提灯や仏壇、八女茶を含む伝統工芸品や元々農家の副業であった和紙や久留米絣の本格産業化の促進などが提案されていました。旧八女郡役所は現在の八女に至る町作りの拠点となっていたのです。
その後旧八女郡役所は構造が複雑で、採光も不十分、さらには借家だったこともあり、移転新築することを決めました。1913(大正2)年3月27日大正町に新しい八女郡役所が建築されますが、1923(大正12)年の郡制の廃止に伴い、新八女郡役所もその役割を終えました。以降は地方事務所や八女福祉事務所を経て、現在は取り壊され、八女市役所北側の市民会館駐車場となり、その姿を眺めることはできなくなっています。
■交流の場としての旧八女郡役所へ
1913(大正2)年にその役割を終えた旧八女郡役所ですが、その後も取り壊されることなく建物としての役目を全うしていました。大正の終わりから昭和の初めの頃に服部萬吉氏が所有権を取得し、「服部木蝋商店」の精蝋工場として利用を始めました。
1944(昭和19)年頃になると、第2次世界大戦の影響を受け、銃弾の軍需工場として利用されていました。終戦後は住宅不足により、住居としてその形を変え、3家族が住んでいたこともあるそうです。その後は農業改良事務所を経て、1958(昭和33)年から1970(昭和45)年は飼料店として活躍しました。
現在はNPO法人八女空き家再生スイッチが管理、改修を行い、旧八女郡役所は新しい姿へと変化を遂げました。イベントに使用できるホールや朝日屋酒店などの店舗のほか、文化発信の拠点としても利用され、当時の内装の保存と再生に向けた取り組みが進められています。八女市内において、明治期に建築された大型の木造建築物は酒蔵を除いて旧八女郡役所のみとなっています。100年以上前の建築物をリノベーションした旧八女郡役所は、当館からは徒歩で5分圏内に位置しています。当時の趣を感じながらさまざまな人との交流を楽しむのはいかがでしょうか。

次回は、福島八幡宮に分霊した土橋八幡宮を中心とする土橋界隈についてご紹介します。





