第26回― 大藤広がる素盞嗚神社


横町町家交流館のある八女福島地区は、江戸時代からの白壁の町並みが残る「伝統的建造物群保存地区」です。八女市には、この地区に残る400年の白壁以上に、さらに長い歴史を持つ場所があります。それが、約600年前に素盞嗚(すさのお)神社の境内に植えられ、今では1mを超える長い紫色の花房を垂下させる「黒木の大藤」です。
今回は素盞嗚神社と「黒木の大藤」についてご紹介します。
『素盞嗚神社に降る紫の滝』 ■素盞嗚神社の由緒毎年4月中旬から下旬にかけて開花し、その香りや美しさで訪れる人々を魅了する「黒木の大藤」。その大藤が植えられている素盞嗚神社は1319~1324年(元応~元亨年間)に、当時猫尾城の城主であった黒木家第9代目の黒木鑑隆(あきたか)が創建したと伝えられています。ご神体は、出雲地方で英雄的伝承や神社信仰の中心的存在である素盞嗚尊(すさのおのみこと)と素盞嗚の妻で八岐大蛇(やまたのおろち)退治に登場する稲田姫命(いなだひめのみこと)です。

創建後は猫尾城と同様、黒木一族が受け継ぎますが、1584(天正12)年、大友氏の家臣らによって猫尾城が落城。同時に素盞嗚神社も戦禍を被り、黒木氏が代々奉納していた品は焼亡、または散財され、多くが失われました。その後、17代目の黒木延実(のぶざね)が、現在の黒木町周辺の領地を奪い返すことに成功します。1587(天正15)年の豊臣秀吉による九州平定の際、筑紫家の家老、屋山隼人が黒木周辺の領地を継ぎ、戦禍で失われた社殿を再建。以降は筑後国の久留米藩の領地に組み込まれました。
その後、町周辺を巻き込む大火事によって神社は全焼しますが、再建され、1905(明治38)年には神殿・拝殿を改築し、南向きへと移し、現在の神社の姿に変わりました。
■樹齢600年を超える大藤
社殿前に広がる大藤は、南北朝時代の1395(応永2)年3月、天皇を正統とする南朝の指導者で、後醍醐天皇の孫の良成親王が、九州を訪れた際に植えたものと考えられています。1830~1843年(天保年間)には当時の久留米藩主の奥方が見学に訪れた記録もあるほど、多くの人を引きつける黒木の名所にまで成長しました。しかし現在に至るまでに3度、その美しさが失われてもおかしくないほどの大きな危機に遭っていたのです。
1度目は1584(天正12)年の、大友氏による猫尾城落城時の大火。2度目は1821(文政4)年2月16日に町の周辺で発生した大火です。この2度の火災で町内のほとんどが消失しますが、大藤だけは燃え残り、それぞれ翌年の春には紫の房を垂らしたといわれています。また戦火だけではなく、災害にも見舞われました。それが1953(昭和28)年に発生した西日本水害です。この当時集中豪雨によって近くを流れる矢部川が氾濫、藤棚が崩壊するほどの重傷を負います。それでも、大藤の根は矢部川の川底まで伸びている、といわれているほど広範囲に根を張り、また、幾度の戦乱や災害による藤の喪失という危機を乗り越えてきたその生命力の強さが、今でもたくましく生き続けている理由なのかもしれません。
1928(昭和3)年1月31日には国の天然記念物に指定されました。藤棚は約3000㎡の総面積で、4~5月の開花時期には頭上に紫色の天蓋(てんがい)のように広がります。当館からは車で20分ほどに位置しており、開花時期に合わせて4月10日(金)から26日(日)まで大藤まつりも開催。藤の美しさや香りだけではなく、黒木の特産品やグルメも楽しめます。この時期ならではの魅力を感じに、ぜひ足を運んでみてください。

次回は恋愛成就のパワースポットとしても知られる「ハート岩」が有名な日向神についてご紹介します。





