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第5回 ―【幻に終わった日本の首都・八女】

八女遷都論とは――

 当館のある八女福島地区は、江戸時代からの白壁の町並みが残る「伝統的建造物群保存地区」です。伝統的な建物が多く残る八女福島が現在の首都、東京のような町並みを擁していたかもしれない話があったとしたら、今やどれだけの人が信じるでしょうか。

 今回は第2次世界大戦中に秘密裏に作成されていた、八女に首都機能を移動させる計画「八女遷都論」についてご紹介していきます。

『幻の首都遷都計画』

■計画に至るまでの経緯

  首都遷都計画が明記されている「中央計画素案」は、真珠湾攻撃の1年前1940(昭和15)年に発表された「国土計画設定要綱」の一部でした。この要綱は同年に成立した第2次近衛内閣が重要政策の一つとして発表したもので、日本と満州・支那(現在の中華人民共和国)を含めた総合的な国力の発展を目標としたものでした。この要綱はその後の100年間で国土の総合的な開発・利用・保全を図るもので、その手始めとして取り上げられたのが、遷都計画を有する、当時懸案事項であった過大都市対策でした。特に「中央計画素案」の中には地域格差の是正、過密・過疎対策、国土防衛的見地も含めた人口の大都市集中を避ける配慮がなされていました。

 1943(昭和18)年10月、それまで国土計画に関する事務を行ってきた、内閣総理大臣直属の組織で戦時下の国家総動員態勢の諸計画を立案した企画院が廃止され、地方計画に携わっていた内務省が受け継ぎます。その結果国土計画と地方計画を一体化した計画の策定を可能にしました。まさしくこの10月付極秘文書に「八女遷都論」が計画され、明記されるようになります。

■新首都の候補地

  10月付の文書の遷都論では、首都の候補地として

  1. 岡山県邑久郡行幸村中心地区(現在の瀬戸内市)
  2. 福岡県八女郡福島町中心地区
  3. 朝鮮京畿道城府周辺地区(現在のソウル)
■首都としての条件

  当時の日本政府は首都としての定めるための条件として以下の六つを定めていました。

 ①天皇総帝論の理想を顕現するに最も適当なる全国の中心となる土地

 ②地震および風水害などの天災地変が少ない土地

 ③冬の寒さや夏の暑さがあまり厳しくない土地

 ④平たんな土地で乾燥し、景観の美しい土地

 ⑤用水、電力、食糧などの物資が豊富な土地

 ⑥交通の利便が良く、その他の都市と適度に離れている土地

以上六つの項目がその条件として明記されていました。

さらに別の項目には「防空、耐火、耐震および美術上の見地において最も完全なる都市の造形に、重点を指向するもの」との記載もありました。この条件に沿って考えると、特に耐火、耐震、美術上の見地では、福島町は理解できるものと考えます。耐火に関してはいわずもがな、江戸時代から続く、防火性の高いしっくいで塗られた町並みはそうやすやすと火事の被害にはあいにくいだろう。

その町並みの景観も美術上の見地でも条件に合致するでしょう。また耐震でも、気象庁の情報によると、1919年から80年代まで震度1以上の揺れは観測されなかったそうです。以上の観点から福島町が首都の候補地の一つとして選ばれるのも納得がいくかと思います。

■その後

 しかしこの遷都論を含む「中央計画素案」は策定から2年後、1945(昭和20)年に日本が第2次世界大戦で敗北したことをきっかけになくなりました。 

 前述したように、もし当時八女福島に首都が移転したとなると、現在その姿はガラッと変わった様相をしていたことが考えられます。政府各機関だけではなく、皇居や生活必需物資配給機関や外国公館などもその首都構成に含まれていた点を踏まえると、何もかもが変わっていたことでしょう。そんなイメージを膨らませながら福島町を散歩してみてはいかがでしょうか。ちなみに福島町には東京町という地名も存在し、いつでも東京を名乗れる準備はできていたのかもしれません。

■次回予告

 次回は燈籠人形の舞台でもあり、遷都論をめぐる八女福島町を長く見守っていた福島八幡宮についてご紹介します。(週一回更新)

〇参考文献

 ・国土交通省国土地理院編『地域計画アトラス国土の現況と歩み』、1984年、「国土計画・地域計画の歩み 戦前の国土計画」 

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