第13回― レトロ商店街 土橋市場


八女市横町町家交流館のある八女福島地区は、江戸時代からの白壁の町並みが残る「伝統的建造物群保存地区」です。古い歴史の趣を感じる八女福島地区に、戦後の昭和レトロな情景をそのまま現代に移したかのような、少しディープなスポットが存在します。それが土橋八幡宮の中に位置する土橋市場です。
今回は昭和の雰囲気を色濃く残す土橋市場についてご紹介します。
『闇市から飲み屋街へ』 ■戦後の闇市場
現在若者向けのおしゃれな飲食店やスナックが並んでいる土橋市場ですが、第2次世界大戦終戦直後は闇市として多くの人でにぎわいを見せていました。国民の食料や物資の調達は配給制が主だった当時、配給が十分に行き渡らず、政府の目につかない路地裏で物々交換を行い、生活を維持していました。やがて物々交換を行う市場として非合法の闇市が作られました。
八女福島地区も例外なく数多くの闇市が形成され、たくさんの人であふれていたといわれています。戦後中国から引き揚げた人々が土橋八幡宮近くの旧国道沿いで食料品の露店販売を始めます。それ以降、闇市を目当てに訪れる人数は増え、周辺一帯の整理のために、地域の実力者であった映画館のオーナーが八幡宮側と交渉し、境内に約70の露天商が店を開きました。交渉の際、数年後には撤去するという八幡宮との取り決めがあったようで、いつでも解体しやすいように建物には鉄骨や瓦は使わない木造建築で、大半がトタン屋根で造られています。
■若者が集まるディープなスポットへ
当初は闇市として生活用品や食料品を取り扱う店が多く、たくさんの人で熱気を帯びていた土橋市場ですが、次第に店の顔ぶれは時代の波に飲み込まれていきました。スーパーの普及によりその数を減らし、飲食店が目立つようになります。1965(昭和40)年から1975(昭和50)年頃までには、スナックなどが立ち並ぶ夜の歓楽街へと代わり、「不夜城」とも称されていました。
しかしここでも時代の波には逆らえず、平成に入る頃には景気低迷と店主の高齢化により、市場は寂れ、昭和の雰囲気だけが取り残されていました。2010(平成22)年ごろになると、昭和の雰囲気が残る市場の存在を聞きつけた若者が多く集まり、その魅力に引きつけられ、次々と出店するようになりました。今では30~40代の店主が半数を占める飲食店を中心に、再びの活気を取り戻しています。珍しい海外製の雑貨を扱うお店や入れたてのコーヒーと作りたてのパンを味わえるカフェなどの映える店舗が軒を連ねています。
当館から土橋市場まで徒歩10分圏内にあります。闇市やスナックなど昭和の名残を残しながら、若者向けのお店もオープンし、時代の流れを映したオシャレなエリアへとなっています。レトロな建物に囲まれた昭和の雰囲気を味わえる土橋市場にぜひ足を運んでみてください。
■次回予告次回は、もしかしたら八女に邪馬台国が存在していたかもしれない邪馬台国八女説をご紹介します。





