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第16回― 漆と金が織りなす祈りの象徴

八女福島仏壇とは――

 横町町家交流館のある八女福島地区は、江戸時代からの白壁の町並みが残る「伝統的建造物群保存地区」です。1954(昭和29)年に発足した八女市ですが、280年以上の歴史がある燈籠人形や福島八幡宮など、数多くの文化が継承されてきました。中でも伝統的な技術技法を受け継ぎ、国や市に指定された伝統工芸品が六つ存在します。

 今回はその中の一つ、「八女福島仏壇」についてご紹介していきます。

『地域文化が織りなす仏壇』

■八女福島の歴史

  艶やかな漆塗りに金箔(きんぱく)や蒔絵(まきえ)、精緻な彫刻と金具細工が施された伝統的な金仏壇が特徴の八女福島仏壇ですが、その起源は江戸時代後期にまでさかのぼります。とある伝承によると、1821(文政4)年に福島町で大工を営んでいた遠渡三作氏が、夢に見た荘厳(そうごん)華麗な仏閣を再現しようと試みたことに端を発します。その後同業者であった井上利久平氏、平井三作氏に協力を仰ぎ、仏壇の製造が始まりました。1850(嘉永3)年頃になると、仏壇の下段が階段状で、寺院建築に近い構造の「福島型」仏壇の基礎が形成され、九州での仏壇製造の源流になったといわれています。  1870(明治3)年頃になると、明治政府が神仏分離令を発布し、神社に仏像仏具を置くことを禁じたことで家庭での仏壇需要が急増。仏壇の製造数が増えたために分業での製造体制が敷かれました。八女市でも仏壇需要が高まり、1882(明治15)年には旧福島町を中心に「囲い」「彫刻」「宮殿(くうでん)」「仕上げ」の4組合が組織され、約80にも及ぶ工程を6部門に分けた現代にも続く製造の土台が作られました。

 1890(明治23)年には、仏壇に引き出しと棚といった実用性を兼ね備えた「八女型」の仏壇が誕生し、1977(昭和52)年には漆塗りや金箔などの伝統的な技法が評価され、経済産業大臣により「伝統的工芸品」に指定されました。

■目を引くたたずまいの八女福島仏壇

 八女福島仏壇の最大の特徴はその圧倒的な装飾美ではないでしょうか。漆の重ね塗りによる重厚な光沢や金箔によるきらめき、そして花鳥や天人をあしらった繊細な蒔絵や彫刻による様式美は、まるで極楽浄土の一部を再現しているかのようです。豪華な装飾と緻密なデザインを生み出すために、約80の工程は以下の六つに分けられています。

・木地;仏壇の外枠や棚、柱などの骨格部分を精緻に組み上げる

・宮殿;仏壇内に設ける小型の仏閣構造を細部まで再現し、同時に屋根、階段、欄干なども制作

・彫刻;花鳥風月や吉祥意匠を木に彫刻し、立体的な装飾を削り出す

・金具;錠前や飾り金具を打ち出し、仏壇に品格と実用性を加える

・蒔絵;漆面に金粉や顔料を用いて意匠を描き、立体的な文様を加える

・仕上げ;各パーツを精密に組み合わせ、全体を磨き上げ完成

これらの作業工程は10年の経験がないとこなせないといわれています。現在もそれぞれの工程を複数の職人が分業し、手作業で一つ一つを丁寧に積み上げることで、芸術品とも呼べる仏壇が生み出されています。また、国の重要無形民俗文化財に指定された燈籠人形の舞台全体に用いられた金箔・銀箔・漆の塗装技術や、釘を一切使用しない建築技術が仏壇にも活用され、仏壇製造の基となったともいわれています。

 八女市は、江戸時代以前から仏教が根付いており、古くから信仰心が強かったともいわれています。その中で江戸時代のキリシタン禁制が追い風となり、仏教へ傾倒する人たちによって仏壇作りが始まったともいわれています。当館から徒歩で約5分のところには、日本一の大型金具仏壇が置かれている八女伝統工芸館もあります。ぜひ当時の人たちの祈りを金箔や漆でかたどった仏壇を見に、足を運んでみてください。

■次回予告

 次回は、八女市の童男山古墳と徐福伝説についてご紹介します。

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