1. HOME
  2. ブログ
  3. 第17回― 童男山古墳と徐福伝説

第17回― 童男山古墳と徐福伝説

古墳に眠る徐福とは――

 横町町家交流館のある八女福島地区は、江戸時代からの白壁の町並みが残る「伝統的建造物群保存地区」です。この保存地区の北部には4から7世紀にかけて東西十数kmに八女古墳群が広がっています。その東部には1400年前に童男山(とうなさん)古墳が造られました。この古墳は5世紀頃に筑後地方で力を持っていた筑紫の君一族関連のものと考えられてきましたが、この童男山古墳には興味深い人物が関連していました。

 今回は八女に残る童男山古墳と秦の始皇帝の使者である徐福との伝説についてご紹介します。

『古墳のミステリーと徐福伝説』

■童男山古墳と耳の神様

  八女市内東部の山内という場所に位置している童男山古墳は、標高約100mの山頂にあり、6世紀後半に築造されたといわれています。全部で27基の円墳からなっており、推定直径48mの大型円墳となっています。第26代天皇である継体天皇(450~531年?)と対立し527年に発生した磐井の乱で滅ぼされた筑紫の君一族もしくは関連した人々が眠っていると推測されていますが、実際の被葬者は現在不明です。

 内部は複数の横穴で造られ、凝灰岩製の遺体安置所やひつぎなど、全体が石でできています。八女市北部の岩戸山古墳で発見された、石を削って造られた「石人・石馬(いしじん・せきば)」など近くで良質な石を採掘できた石文化らしい特徴を持つ古墳となっています。

 古墳周辺では古来より童男山古墳の名称に含まれる童男山(とうなさん)という言葉が「子どもの耳」や「童の耳」といった「耳」を想起させることから、耳にまつわるご利益を象徴する神様として信仰されるようになりました。具体的な神話や逸話、直接的な語源によるものではなく、古墳の名称と民間信仰特有のイメージ形成、耳の健康を願う地域の文化的背景によって「耳にご利益がある神」としての位置づけがなされたとされています。

 

■不老不死の薬を求めた徐福

 6世紀後半に筑紫の君一族関連の墓として建てられたとされる童男山古墳ですが、奇妙な伝説が残っています。それはこの墓には徐福という人物が眠っているという伝説です。その伝説は、今から2000年以上前、紀元前221年に中華を統一した秦の始皇帝が、不老不死の仙薬を求めたことから始まります。秦の始皇帝は「東海の神山に仙薬がある」と信じ、仙術と呼ばれる超自然的な技術や能力にたけた徐福を日本に派遣します。そこで徐福は3000人の童男童女と100人の技術者と共に航海の末、八女の地に流れ着きます。童男山の名前は徐福が連れてきた童男童女3000人から来ているそうです。

 しかし航海時に大けがをした徐福は、当時の村の人々の介抱むなしく、八女の地で安らかに息を引き取ったとされています。そこで村人たちは墓を建て、火をたいて徐福の霊を葬りました。

 当館からは童男山古墳までは車で約10分の所に位置しています。伝説になぞられ現在徐福の命日である1月20日には童男山ふすべと呼ばれる火をたく行事が行われています。また、古墳前には徐福の像も建てられ、中国からの渡来ということで旅の安全祈願の対象にもなっています。ぜひ旅行の際は旅の安全を願いに足を運んでみてください。

■次回予告

 次回は、八女茶発祥の寺といわれている霊厳寺についてご紹介します。

関連記事

おすすめ記事