第20回― 箱に収められたひな人形


横町町家交流館のある八女福島地区は、江戸時代からの白壁の町並みが残る「伝統的建造物群保存地区」です。伝統ある福島の町並みを中心に商屋や家屋にひな人形を飾る「雛の里・八女ぼんぼりまつり」が2月中旬から1か月間行われます。
今回は前回に引き続き、江戸時代から始まったとされる「箱雛」についてご紹介していきます。
『八女独自の文化 箱雛とは』 ■庶民のためのひな人形平安時代に女児の間で流行した遊びと奈良時代からの慣習が結びついて「ひな祭り」の原形が作られたとされています。室町時代には家に飾る習慣が生まれ、江戸時代には当時の幕府によって女の子のための日とする「桃の節句」が制定されるなど、現代のひな人形により近いスタイルが確立されていました。
しかし豪華な生地で作られるようになったひな人形は、江戸時代に作られた「ひな市」で各地の大名や裕福な大商人に高値で取引されるようになりました。上流階級にひな人形の流通範囲が限定されながらも、華やかなひな人形の文化は富裕層を中心に栄えていきました。一方で、一般庶民のほとんどで形成される町ではこうしたぜいたくは許されておらず、またひな人形を作る素材も安易には手に入れることはできなかったようです。そこで貧しい家庭では身の回りの素材をうまく利用して自給自足的に、そして身分相応の人形を作るしかなかったのです。
■「箱雛」に込められた庶民の知恵当時の豪華な飾り付けが施されたひな人形は、一般庶民には手が出せないものになっていましたが、しかし子を持つ親としては、子の成長を思い、なんとか手に入れたいと願っていました。そこでその願いを形にしたのが八女の職人でした。「子どもの成長を願う気持ちは、貧富にかかわらず同じ」という思いから、身近にある道具や材料を組み合わせたひな人形の作成に取りかかりました。当時から仏壇や提灯、手すき和紙などの伝統工芸品を持つ職人が多かったため、これらの文化を利用した、仏壇の金具や金襴(きんらん)などが使われる八女独自のひな人形が作られました。
しかし当時江戸幕府は度重なる倹約令を発布。庶民の家に飾られていたひな人形も倹約令に引っかかってしまいました。そこで八女の職人は、杉や桐の箱の中にひな人形を収納することで、役人が家に来たときにはふたを閉じるだけで役人の監視の目から逃れたのです。

こうしてさまざまな八女の伝統文化を駆使して作られた「箱雛」は、取り扱いが非常に便利になったことから、八女市のひな人形といえば「箱雛」を示すほどになり、明治時代には近隣の町からも注文が来るまでに発展。1955(昭和30)年頃まで八女市内で「箱雛」が作られていました。
2月15日(日)から八女市福島地区一帯で開催される「八女ぼんぼりまつり」では当時の「箱雛」や現代のひな人形が町中を飾ります。ぜひ足を運んで見てください。

次回は、八女市福島地区がひな人形で飾られる「ぼんぼりまつり」についてご紹介します。





