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第38回― 八女を代表する石橋めぐり

人々の暮らしと結びついた遺産――
寄口橋「八女市HPより」

 横町町家交流館のある八女福島地区は、江戸時代からの白壁の町並みが残る「伝統的建造物群保存地区」です。そんな八女市には、現在確認されているだけでも48基の石橋が残されています。前回は古くから八女の人々の生活を支えている石橋の歴史についてご紹介しました。

 今回は48基の中から、代表的な石橋をめぐっていきます。

『各地に架けられた象徴的な石橋たち』

〇上陽の「ひふみよ橋」

  八女市上陽町を流れる星野川上流には、一連から四連までのアーチ橋がそろう全国的にも珍しい石橋群「ひふみよ橋」があり、八女の石橋文化を語る上で欠かせない存在です。

洗玉橋「八女市HPより」

・洗玉橋

 「ひふみよ橋」の「ひ」に当たり、最初にかけられた橋です。明治時代に上陽町を3度にわたって襲った大洪水を受け、「流されない橋をつくってほしい」という町民の強い願いと寄付によって、1893(明治26)年に架けられました。石工・橋本勘五郎が手がけた橋で、石材には宝珠の文様が刻まれ、石工たちの誇りと高い技術を今に伝えています。

・寄口橋

寄口橋「八女市HPより」

 二連アーチの石橋で、「ひふみよ橋」の「ふ」にあたり、1920(大正9)年に架設。川面に映る姿は眼鏡のように美しく、寄口橋を象徴するような景観です。春には近くの北川内公園内に600本の桜が咲き、初夏にはホタルが舞い、四季折々の風景を楽しむことができます。

大瀬橋「八女市提供」

・大瀬橋

 「ひふみよ橋」の「み」にあたる三連アーチの石橋。1917(大正6)年に架けられ、アーチの頂上付近に建設に携わった石工たちの名前が刻まれています。周辺には昔ながらの集落風景も残されており、石橋と人々の暮らしとの結びつきが実感できます。

宮ヶ原橋「八女市提供」

・宮ヶ原橋

 「ひふみよ橋」最後を飾る四連アーチ橋。1922(大正11)年に架けられたこの橋は、星野川の下流にあり、上陽町と八女地域の境付近に位置することから、昔から多くの人を迎えてきました。2012(平成24)年7月の九州北部豪雨で大きな被害を受けましたが、その6年後に復旧。地域のシンボルとして今も親しまれています。

〇風景や信仰と調和する奥八女の名橋
天満宮参道橋「八女市HPより」

・納又天満宮参道橋「上陽」

 半円形一重巻き形式のアーチ構造を持つ石橋です。池の水面に映る逆さ橋とともに、美しい円環を描き出し、神聖で荘厳な景観をつくり出しています。

熊野宮参道橋「八女市HPより」

・熊野宮参道橋

 熊野神社参道入り口の池に架かる太鼓橋で、現世と神域を隔てる境界としての役割を持ち、参拝者を静かに迎えています。

中村の眼鏡橋「八女市HPより」

・中村の眼鏡橋「黒木」

 江戸時代に築かれた花巡廻(じゅんかい)水路に架かる石橋です。「北大淵中村坊」という礼拝所へ向かう道をつなぐ橋としてつくられ、人々の信仰を支えてきました。

関屋橋「八女市HPより」

・関屋橋「黒木」

 長さ約1.3メートルの小さな石橋で、「ひと跨ぎ橋」の愛称で親しまれていました。橋を架けるほどでもないような小川につくられたことからその名で呼ばれていましたが、2012(平成24)年の豪雨災害で流失し、現在はその姿を見ることはできません。

黒岩橋「八女市HPより」

・黒岩橋「立花」

 1892(明治25)年に架けられ、長さ10.3メートル、幅1.8メートルと、立花町内で最も大きい眼鏡橋。一度は大雨の被害を受けたものの、1985(昭和60)年に修復され、見事な湾曲を描いています。

 八女市内にはこの他にも大小さまざまな石橋が、山間部だけではなく市街地にも残されています。長年にわたり多くの人々の往来を支えてきた石橋は今なお、八女の歴史と暮らしを静かに見守り続けています。八女を訪れた際は、石工たちの魂が込められた石橋文化に触れながら、地域に刻まれた歴史を巡ってみてはいかがでしょうか。

〇次回予告

 次回は全国一の生産量を誇る「八女提灯」についてご紹介します。

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