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第37回― 石工の魂宿る 八女の石橋

生活に欠かせない文化遺産――
 大瀬橋(上陽)「八女市HPより」

 横町町家交流館のある八女福島地区は、江戸時代からの白壁の町並みが残る「伝統的建造物群保存地区」です。そんな八女市には現在確認されているだけでも48基の石橋が残されています。矢部川や星野川を始めとする多くの川が流れる八女は、古くから豊かな水の恵みを受けてきました。一方で、人々の暮らしや集落同士を結ぶためには橋は欠かせない存在でした。

 今回は八女の風景に溶け込みながら今も生活を支える石橋についてご紹介します。

『古くから続く石との暮らし』

■人々の往来を支えた交通の要

 八女市東部に位置する黒木や矢部地域には、山あいを縫うように大小さまざまな川が多く流れています。そのため、点在する集落同士をつなぐには橋の存在が不可欠であり、生活道として重要な役割を果たしてきました。江戸時代にはすでに各地で橋が造られていましたが、その多くは木造でできており、洪水や経年劣化による損壊が大きな課題でした。

 勘五郎が描いた洗玉橋(一連)の完成予想図「八女市HPより」

 転機となったのは明治時代でした。より耐久性に優れた石橋が注目されるようになり、八女の石橋発展の礎を築いた人物が現れます。その人物こそが、熊本県にある「通潤橋」(1854年完成。1960年国の重要文化財、2023年に国宝に指定)の建設に携わった石工棟梁(とうりょう)の橋本勘五郎です。1893(明治26)年に八女を訪れた勘五郎は、地元の石工たちに対して高度な石橋の建設技術を指導しました。さらに地元の石工たちは、肥後の種山石工集団からも技術を学び、長野石工、辺春石工と呼ばれる石工集団を各地で形成しました。

 現在八女に残る石橋のほとんどは、彼らが明治から大正にかけて築いたものです。それぞれの橋には、当時の優れた技術や石工たちの誇りが刻まれ、八女市の緑豊かな自然と溶け込んだ美しい景観を作り出しています。

■八女の生活に溶け込んだ石

宮ケ原橋「八女市HPより」

 八女の石橋の最大の特長は、くさび形の石を積み上げてアーチを構成する点にあります。中央に据えられる要石が全体を締めることで、自然災害にも耐えうる強固で美しい構造が生まれます。また、石材の加工や積み方には石工ごとの個性が表れ、同じアーチ状の橋でもそれぞれ異なった表情を持っています。機能性だけではなく、人工物でありながらも周囲の川や山といった自然と調和する美しさを兼ね備えた点は、まさに石橋の大きな魅力といえるでしょう。

「八女市HPより」

その他にも八女市には石を使った製品が昔から人々の生活と密接に結びついています。古墳時代に八女を拠点とした筑紫君磐井の墓とされる岩戸山古墳から出土した「石人・石馬(せきじん・せきば)」。埴輪(はにわ)のような役割を持つこれらの石像は、現在までに100体以上発見され、八女と石との深い関わりを物語っています。

 「八女市HPより

 また、八女市の伝統工芸品である「八女石灯ろう」も、石橋づくりに活躍した石工たちの技術を基に発展しました。これら石製品には「長野石」がよく使われていますが、今から約9万年前に阿蘇山の大噴火により、八女に流れた火砕流が堆積してできたのが「長野石」とされています。他の石と比べて軟らかく加工しやすい石のために、八女では脈々と受け継がれ、石製品が人々の生活に溶け込んでいったのです。

■次回予告

 次回は、内に残る48基の石橋の中から代表的な石橋をめぐり、それぞれの見どころや魅力をご紹介します。

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