第41回― 日本三大絣の一つ 久留米絣


横町町家交流館のある八女福島地区は、江戸時代からの白壁の町並みが残る「伝統的建造物群保存地区」です。この地区には「八女提灯(ちょうちん)」や「八女手すき和紙」など多くの伝統工芸品が受け継がれてきました。その一つが、筑後地方を代表する織物「久留米絣(がすり)」です。久留米市を中心に発展してきましたが、八女市も生産地の一つとしてその歴史を古くから支えてきました。
今回は日本三大絣の一つである「久留米絣」についてご紹介します。
『藍と職人が織りなす伝統模様』 ■「久留米絣」の歴史「久留米絣」のルーツは今から200年以上前、1800年頃にさかのぼります。福岡県久留米市に住んでいた当時12歳の井上伝(1788~1869)という少女が発案したことがきっかけといわれています。伝は、色あせた古着の斑点模様に着目し、布をほどいて模様の秘密を探っている最中に、糸をくくって藍染めし、織り上げて模様を生み出す方法を考案したのです。
伝が生み出した初期の「久留米絣」は、糸を先に染めて織る「絣」技法を用いていたので一つ一つ異なる表情を持っていました。ここから多くの職人による創意工夫によって発展することとなりました。特に、久留米市の大塚太蔵(1806~1843)は、布に絵や文字を自在に表現する「絵絣(えすがり)」を、八女市福島の農家の次女牛島ノシ(1812~1887)は、「久留米絣」独特の緻密な柄「小絣(こがすり)」を発明。また、1827(文政10)年には、伝の弟子が1000人以上になり、そのうち400人ほどが各地に散らばったことで全国に「久留米絣」が広がっていきました。その後筑後地方では、農家や商家の女性の副業として盛んに織られ、庶民の衣服として全国で愛用されるまでに発展していきました。

大変な手間と時間を有する「久留米絣」。明治時代になると織物の機械化が進む中でも手織りでの技法が継承され、1957(昭和32)年には国の重要無形文化財に指定されます。その後、「伊予絣」「備後絣」を含む日本三大絣の一つに数えられるようになりました。現在、生産量は減少していますが、バッグや小物、インテリアなど新たな製品作りにも活用され、国内外から注目を集めています。
■丁寧な手作業で紡がれる美職人の手で精巧に織られる「久留米絣」の最大の魅力は、織り上がった際に現れる独特のかすれ模様です。この模様は、糸の段階であらかじめ染め分けを行い、織り上げた時に図柄が現れるよう計算して作られています。その温かみと奥行きのある風合いが今も高く評価されています。

「久留米絣」ができるまで、幾重もの制作過程が踏まれますが、その工程は大きく七つに分けられます。
・図案作成:模様の設計図を作る
・絵糸書:設計図を見て絣となる部分に墨を付ける
・糸くくり:染めない部分を糸で固く縛る

・藍染め:糸を、濃度の低い藍から高い藍へと順に染めてはたたく、を50~60回繰り返す
・糸合わせ:染め上がった経(たて)糸と緯(よこ)糸を正確に整える
・織り:柄がずれないよう慎重に織り上げる
・仕上げ:水洗いし日陰干しの後完成
特に難しい工程とされるのが、経糸と緯糸を織る作業です。少しでもずれると模様が崩れてしまうため、高い集中力と熟練した技術が求められます。こうした丁寧な手作業によって、「久留米絣」ならではの美しい模様が生み出されています。

当館から徒歩で5分ほどに位置する伝統工芸館には、「久留米絣」を使った商品が販売されています。長い歴史の中で磨かれてきた職人の技と、使えば使うほど味わいを増すその魅力に、ぜひ触れてみてください。
■次回予告
次回は竹細工やコマなど、八女市に残る工芸品についてご紹介します。





