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第28回― 福島地区に残る歴史的家屋

福島の町並みとともに受け継がれる文化財――
「画像提供:八女市」

 横町町家交流館のある八女福島地区は、江戸時代からの白壁の町並みが残る「伝統的建造物群保存地区」です。この地区の中にある京町の一角に、明治時代に建てられた「旧木下家住宅」があります。その内部には屋久杉を用いた欄干やタイル張りの洋風トイレといった和洋折衷の意匠が今でも残り、当時の趣を感じられる観光スポットとなっています。

 今回は職人の技術が随所にちりばめられている「旧木下家住宅(堺屋)」についてご紹介します。

『酒造業を経営していた一族の住宅』

■「堺屋」木下家の歩み

  福岡県八女市福島地区に今も残る「旧木下家住宅」は、1908(明治41)年に木下家11代目木下次郎氏が「離れ座敷」として建てたとされているものです。木下家は江戸時代に、初代木下市右門が福島の地で酒造業を営み、屋号を「堺屋」と名付けました。城下町や商家町として栄えていた福島で、以後代々その名を受け継ぎ、酒造業で大きな財をなした木下家は、地域の経済を支える有力商家の一つとして知られることになりました。

 八女福島屈指の富裕商家へと成長した木下家は、明治期に入ると明治維新を受け、近代的な商家へと姿を変えていきました。その象徴が、11代当主木下次郎氏が建てた「離れ座敷」と私邸を中心とする邸宅です。私邸は家族の生活空間という役割を果たし、「離れ座敷」は来賓をもてなす応接間や宿泊ができる迎賓館的役割を担う建築で、近代商人としての地位や財力を物語っています。

「画像提供:八女市」

 その後昭和に入り、酒造業を取り巻く環境が厳しくなり、私邸は取り壊され、「離れ座敷」と倉庫のみが残されました。しかしその後私有での保存ができなくなったため、1988(昭和63)年に13代当主木下和夫氏が、「離れ座敷」や倉庫を八女市に寄贈。1994(平成6)年には八女市の文化財として指定されました。  

■座敷の内装と乃木将軍の来訪

  「旧木下家住宅」は、近代商家が迎賓の場としていかに空間を整えたかを今に伝える、格調高い座敷建築となっています。内部には屋久杉の一枚板による欄干や、1000本に1本しか現れないほどの希少な黒渋柿の床柱が用いられています。その中に「折り鶴の釘隠し」と呼ばれる、釘や留め具を折り鶴の装飾で覆い隠す技法が使われています。釘を隠し見た目を整えるだけではなく、部屋の格式や財力を示すためにも用いられました。また、装飾金具の折り鶴にも長寿や平和、繁栄の意味があり、「折り鶴の釘隠し」は迎える客の長寿と繁栄を願うメッセージが込められています。他にも空間を強調する「折上げ天井」や「一富士二鷹三茄子」が隠されているなど、部屋ごとに意匠が変えられており、訪れる客に強い印象を残す空間がつくり上げられています。
 また、この「離れ座敷」には、陸軍大将として日露戦争を指揮した乃木希典将軍が1884(明治17)年頃に訪れ、宿泊したと伝えられています。

「画像提供:八女市」

地域の一商家の建物でありながら、国家的要人を迎え入れる場として機能した事実は、木下家が地域社会において有していた高い社会的評価を示すものと考えられます。また、乃木将軍が滞在中に印鑑を紛失し、数年後座敷から印鑑が発見されたという逸話は、文献でも確認でき、乃木将軍の来訪を裏付けるエピソードとなっています。

 当館からは徒歩で約5分の場所にあります。「旧木下家住宅」には、今回ご紹介した以外にも見どころがたくさんあります。建物に残された逸話や当時の職人に思いをはせながら眺めてみると、この住宅が歩んできた歴史や、今は静かなこの地区の風情を感じ取ることができます。ぜひ足を運んで、意匠や乃木将軍が訪れた住宅の魅力をご堪能ください。

「画像提供:八女市」
■次回予告

 次回は八女市に残る人柱伝説についてご紹介します。

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