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第52回― 菅原道真を祭る老松天満宮

宮ノ尾に広がる物語――
「八女市提供」

 横町町家交流館のある八女福島地区は、江戸時代からの白壁の町並みが残る「伝統的建造物群保存地区」です。その町並みから東に30キロほど離れた、豊かな山々に囲まれた矢部村の中心部に、地域の守り神として親しまれている「老松天満宮」があります。学問の神様として知られる菅原道真を祭るこの神社には、南北朝時代までさかのぼる長い歴史が眠っています。

 今回は多くの人々に守られながら歴史を紡ぎ続ける老松天満宮をご紹介します。

『600年以上の歴史を伝える古社』

■天皇や親王ゆかりの由

  八女市矢部村北矢部(宮ノ尾)に鎮座する老松天満宮は、学問の神様として広く信仰されている菅原道真を祭っています。しかしその起源は今から600年以上前の南北朝時代にまでさかのぼります。神社に伝わる「鎮座由来記録」には、後醍醐天皇や征西将軍の懐良親王にまつわる由緒が記されています。

 記録には、後醍醐天皇によって大和国(現在の奈良県)から吉野(現在の奈良県南部)に移された道真公を祭った神像と、その後九州に向かった征西将軍・懐良親王にまつわる物語が残っています。親王が大阪の城にこもっていた際、深刻な水不足に見舞われましたが、神像に祈願したところ恵みの雨が降り、多くの軍兵が救われたと伝えられています。

「八女市提供」

 その後、親王の死を受けて家臣の高藤九郎源師長(こうとうくろうみなもとのもろなが)が神像を携えて九州へ下り、かつて親王を支えた矢部の豪族である五條氏を探し求めました。道中で願掛けとして神像を7体彫り続け、最後の7体目を彫っている最中に五條氏と再会を果たします。 師長は五條氏と再会した矢部村の高屋城で神像を祭り、その由緒を伝えました。これに感銘を受けた六代当主五條頼経が1422(応永29)年に今の位置に社殿を建立したことが老松天満宮の始まりとされています。

■地域に受け継がれる信仰や祭り

「八女市提供」

 神社が建っている「宮ノ尾」という地名には、良成親王が眠る大杣の宮(御所)の入り口にあたり、「宮の先端」を意味することに由来するという言い伝えが残されています。 また、石段を上がると大きな鳥居が見えてきます。この鳥居は、かつて八女津媛神社の大鳥居として建てられたものでしたが、木材運搬の妨げとなったことから、1940(昭和15)年頃に現在地に移設されました。

 地元住民の手によって大切に守られてきた老松天満宮は、今でも四季折々の祭礼が執り行われています。元日午前0時から新年の無事・無病を願う歳且祭、4月には五穀豊穣(ほうじょう)と息災を祈る春の大祭、7月は夏を元気に越す夏越の祈願、11月末日には豊作と無事を感謝する秋の大祭礼(新嘗祭)などが営まれています。

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 矢部村には44の神社があり、そのうち半数の22社が菅原道真を祭神とする天満神社です。老松天満宮はその中心的な存在として、学問成就や豊作祈願だけではなく、地域の歴史や文化を伝える役割を担っています。  当館から老松天満宮は車で50分ほどの場所に位置し、矢部の人々の信仰と文化を知れる貴重な場所です。境内を巡りながら600年以上にわたり受け継がれてきた歴史に思いをはせてみてはいかがでしょうか。

■次回予告

 次回は明治の初期から黒木町で伝わる「旭座人形芝居」についてご紹介します。

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