第42回― 人々の生活に根付いた工芸品


横町町家交流館のある八女福島地区は、江戸時代からの白壁の町並みが残る「伝統的建造物群保存地区」です。この地域では、「久留米絣(がすり)」や「八女提灯(ちょうちん)」、「八女手すき和紙」など、数多くの伝統産業が受け継がれてきました。その中には、豊かな自然の恵みと職人たちの技によって育まれてきた「竹細工や和ごま、おけづくり」があります。
今回は八女の暮らしを支えてきた工芸品についてご紹介します。
『竹細工や木おけ、こまが紡ぐ物づくり文化』 ■暮らしを支えた八女の竹
全国有数の竹の生産地として知られる八女市では、古くから竹を活用した生活道具づくりが盛んに行われてきました。中でも「八女竹細工」とよばれる細工物が有名で、1704~1711年(宝永年間)に、福岡藩や宮崎の高鍋藩から八女に移住してきた武士たちが伝えた竹細工の技法と、地元に根付いた技法が融合して始まったとされています。当初は久留米藩の下級武士が農作業の副業として取り組み、日用品のカゴやざるなどが作られていました。八女竹細工の最大の特長は、編み込みに使う竹ひごにあります。八女産の真竹を使い、15~20メートルもの長い竹ひごを作り編んでいきます。竹が折れる様子を「首を落とすのを連想させる」という当時の武士の意識から長い状態で編む技法が伝わったとされています。120種類以上の編み方がありますが、どれにも染料や接着剤を使わず、50~60年は日用品として使える耐久性を備えています。

また、かつて人々の生活に欠かせなかった木おけも、八女ならではの技術の一つです。おけづくりでは、木材を曲面状に加工した板を並べ、竹や金属のたがで締め上げます。八女では主に加工のしやすさと産地でもあるスギと竹を材料に使用しています。最盛期には八女に約60軒の手作りのおけ屋が存在していましたが、今では九州で1軒となっています。しかし、職人の丁寧な手作業によって作られるおけは、修理をしながら20~30年使うことができ、一生モノと呼ばれるほどです。現在でも酒造りや神社仏閣、おけ太鼓の伝統芸能用など、多くの伝統文化を支えています。
■日本一を誇った矢と回り続ける遊び文化
最盛期には全国生産量の3割を占め、日本一を誇った「八女矢」。その歴史は、1752(宝暦2)年、久留米藩主・有馬家お抱えの矢師が、豊富な竹に恵まれていた八女市に居を構えたことから始まりました。当時は戦(いくさ)用の矢が主流でしたが、高い技術が現代まで受け継がれ、今では弓道家にとって大切な道具として重宝されています。その特長は、作業工程全てを手作業で行う点です。特に矢は真っすぐであることが求められるため、熟練の職人が1本1本厳しく見極め、曲がりを矯正する高度な技術が必要とされています。現在では職人の数は減っていますが、昔から変わらない素材と技術を用いた装飾用のミニチュアも作られています。

八女に伝わる「八女和ごま」は、古くから商家によって栄えた町の歴史の中で育まれてきた伝統工芸です。仏壇や提灯とともに磨かれた木工技術が和ごまづくりに生かされてきました。上面の中央部分が大きくくぼみ、ヘソがある点が「八女和ごま」の特長ですが、明治時代以前の形状の名残ではないかといわれています。こま作りには、樹齢30年以上の真っすぐ伸びた木を、1年ほど乾燥させるなど、長期間の制作工程が必要です。また、平安時代に大宰府に左遷された菅原道真公が八女に伝えたのではないか、という説があるほど昔から八女の人々に親しまれてきました。鮮やかな色彩と美しい回転模様が描かれた「八女和ごま」は、子どもたちの遊び道具だけではなく、郷土の文化を伝える工芸品として現在も回り続けています。
■次回予告次回は八女市立花町出身で、20世紀前半にアジアとの友好親善に力を注いだ政治家・大内暢三についてご紹介します。





