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第36回― 神露渕に伝わる姫御前伝説

安産の守り神「ひめごじょさん」――
「八女市観光協会黒木支部提供」

 横町町家交流館のある八女福島地区は、江戸時代からの白壁の町並みが残る「伝統的建造物群保存地区」です。この地区から15キロ東に離れた黒木町に、神露渕(じろぶち)集落が広がっています。この地域には、南北朝時代の悲しい伝説とともに、今なお住民の手によって大切に守られている文化遺産が点在しています。その中心にいるのが、後征西将軍・良成親王ゆかりの姫御前です。

 今回は神露渕に伝わる姫御前とそのゆかりの文化遺産をご紹介します。

『姫御前の思いを次世代につなぐ』

■良成親王との再会を願って

   神露渕は、八女市を流れる矢部川の支流、神露渕川沿いの山あいに位置する集落です。この地には、南北朝時代に南朝の将軍として指揮した良成親王との子を身ごもった姫御前なる人物の逸話が語り継がれています。(良成親王については、5月15日に紹介していますので、そちらもぜひご一読ください)

 時は今から600年以上前の1392(文中9)年。現在の熊本県八代市の高田御所に住まいを構えていた良成親王は、室町幕府3代将軍足利義満の命を受けた今川貞世の九州進出により、矢部村の高屋城に拠点を移しました。

「八女市観光協会黒木支部提供」

 そこで良成親王との子を授かっていた姫御前は、良成親王との再会を願い、安全なルートから高屋城へ向かいます。しかし矢部川沿いのほとんどでは戦場となっていたために、現在の山鹿方面から険しい山道を越える道を選んだと伝えられています。熊本と福岡の県境にそびえる雄岳を越えた峠道で姫御前は急に産気づかれ、過酷な環境の中、お産は難航し、ついにおなかの子どもとともにこの地で亡くなられました。

 姫御前は最期に「自分は難産のため死ぬが我れ死なば難産の女を救い安産を得させるであろう」と遺言され、それ以来神露渕では姫御前を安産の守り神として祭り続けています。

  

■「姫御前」ゆかりの文化遺産たち

 神露渕集落に点在している、姫御前ゆかりの文化遺産たちをご紹介します。 ・六左衛門夫婦の墓

 「八女市HPより」

 六左衛門は山鹿市の北側、柚木谷の住人で、夫婦で姫御前一行を神露渕へ案内したといわれています。しかし姫御前とその子ともども亡くなった際、姫御前の従者であった太郎・次郎兄弟は六左衛門夫婦を峠から突き落としたのです。その目当ては、八代から姫御前が運んでいた“とあるもの”を2人で独占するためでした。今では六左衛門が落とされた崖は「六左衛門落とし」と名付けられています。太郎・次郎が手に入れようとした“とあるもの”とは何だったのか。その謎は、民家の石垣にお互いが寄り添う形で建てられた墓とともに後世に受け継がれています。

・次郎渕殿神社

  「八女市HPより」

 創建時期などは不明ですが、この神社の御祭神はなんと姫御前の従者であった太郎・次郎兄弟です。彼らは姫御前を葬った後、神露渕に移り住み、没後に祭られました。そのためか一時期集落の名前は「次郎渕」となっていましたが、1781~89年の間に「神露渕」に変わったと伝えられています。

・姫御前祠

「八女市観光協会黒木支部提供」

 安産を祈願する人は「御成願」、無事に生まれたら「願成就」と書いた布をほこらに掛けて参拝します。この地域では姫御前を「ひめごじょさん」と呼び親しみ、毎年2月の日曜日には地元の女性が集まり、「ひめごじょさんまつり」が行われます。

 神露渕集落は当館から車で30分ほどに位置しています。ここでは、姫御前が残した思いを安産の守り神として祭り、その歴史を今でも伝え続けています。一方で、六左衛門夫婦の業や“とあるもの”のために過ちを犯した太郎・次郎を信仰の対象として受け入れた集落の懐深い精神が感じられます。光と影の両面を宿した姫御前にまつわる物語を、この地でぜひ体感してみてはいかがでしょうか。

■次回予告

 次回は明治から大正時代に八女市内に架けられた石橋の数々を巡ります。

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