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第46回― 山に魅了された洋画家・田崎廣助

雄大な自然を描き続けた軌跡――
「写真提供:八女市田崎廣助美術館」

 横町町家交流館のある八女福島地区は、江戸時代からの白壁の町並みが残る「伝統的建造物群保存地区」です。この地区から北東へ足を伸ばした立花町には、日本を代表する洋画家の1人、田崎廣助の故郷があります。雄大な阿蘇山や富士山をはじめ、日本各地の山々を情熱的な色彩で描き続け、今でも多くの人を魅了しています。

 今回は八女市が誇る洋画家・田崎廣助の生涯と、その功績をご紹介します。

『世界にも名を刻んだ山岳画家』

■自然を愛し、鉛筆を握り続けた

  田崎廣助は1898(明治31)年に、現在の八女市立花町に生まれました。幼い頃から絵を描くことが好きで、豊かな自然に囲まれたふるさとの風景が後の創作活動の原点となりました。八女中学校、福岡師範学校(現在の福岡教育大学)に進んだ後、小学校教師として働きながら独学で絵画の研さんを重ねます。同郷で画家として活躍していた坂本繁二郎や青木繁の活躍もあり、洋画家への夢を捨てきれず、教師を辞め1920(大正9)年に上京。本格的に洋画の道へ進みました。

「写真提供:八女市田崎廣助美術館」

 上京後は、第2次世界大戦後に「文藝春秋」の表紙画を担当した画家・安井曾太郎の下で修行を積みます。1932(昭和7)年34歳でフランスへ西洋美術を学びに留学し、滞在中にはパリの展覧会でサロン・ドートンヌ賞を受賞。その実力は世界でも認められました。帰国後の1936(昭和11)年には、洋画団体「一水会」設立に加わり、日本洋画界を代表する画家として活躍します。特に阿蘇山や桜島など日本の山々を題材にした作品を数多く手がけたことから「山岳画家」と呼ばれるようになりました。

■日本美術界に残した大きな足跡

 戦後も旺盛な創作活動を続けた田崎は、1961(昭和36)年に日本芸術院賞を受賞し、1973(昭和48)年には日本とブラジルの芸術家を集めた第1回日伯現代美術展を開催。美術展を通してブラジルとの美術交流や友好親善に尽力し、ブラジル政府から最高名誉賞・文化賞であるグラン・クルーズ章、コメンダドール・オフィシアール章を受賞します。その後も数多くの受賞を重ねたその功績により、1975(昭和50)年には、日本の文化の発展に大きく貢献した人物に贈られる文化勲章を受章。日本を代表する洋画家として高い評価を受けました。代表作には「初夏の阿蘇山」などがあり、力強い色彩と壮大な構図で日本の自然美を描き続けました。

「写真提供:八女市田崎廣助美術館」

 1984(昭和59)年85歳でその生涯を閉じましたが、その作品は今も受け継がれています。当館から車で10分ほどの田崎の故郷八女市立花町には「八女市田崎廣助美術館」が整備され、作品や資料を通して彼の歩みを知ることができます。ふるさとの自然の中で育まれた感性は、多くの名画となり後世へ残されました。田崎が描いた雄大な山々は、今も私たちに自然への畏敬と感動を伝え続けています。

■次回予告

 次回は八女市上陽町にある虚空蔵菩薩(こくぞうぼさつ)についてご紹介します。

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