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第35回―星野に残るチンのウバ塚

筑後の英雄が眠っている?――
「八女市提供」

 横町町家交流館のある八女福島地区は、江戸時代からの白壁の町並みが残る「伝統的建造物群保存地区」です。この地区から東に車を走らせると、星野村を流れる星野川のそばに、積石塚である墳墓がひっそりとたたずんでいます。無数の石を積み上げてつくられたその塚は「チンのウバ塚」と呼ばれています。

 今回は今から100年以上前に見つかった「チンのウバ塚」についてご紹介します。

『異国の鏡が出土した謎の古墳』

■海獣とブドウが描かれた2面の銅鏡
「八女市提供」

 八女市星野村のある一角には、石が無造作に積まれ、まるで崩れた石垣のような見た目をした「チンのウバ塚」という珍しい名前のお墓があります。横幅は約9mで奥行きは約3m、高さ1.5~2mほどのお墓で、積まれている石は片手でも持ち運べそうなほどの大きさです。「チンのウバ塚」の近く、わずか60mほどの近さに星野川が流れているため、川の河原から石を運んでつくられた、と考えられています。

 「チンのウバ塚」は1903(明治36)年9月に、地元の人々によって発掘され、その後の調査で平安時代初頭前後(8世紀前半)の築造と推定されています。発掘時には、中国の唐を代表する銅鏡である「海獣葡萄鏡(ぶどうきょう)」が2面と銀製のかんざし1点が出土。「海獣葡萄鏡」は、至る所に「海外の獣」を意味する「海獣」がちりばめられています。実際に、銅鏡の中央には獣型のひもを通す突起である鈕(ちゅう)があり、その周囲には5頭の獣が、さらにその外側にはさまざまな姿形をした鳥や虫が配置されています。また、多産と豊作をもたらし、豊かな実りの象徴としてブドウが描かれています。

 出土した2面の内、一つは直径9.9cmほどの白銅でできた鏡で、中国で制作された後日本に伝来した舶載鏡(はくさいきょう)、もう一つは直径12.2cmで中国の鏡を模倣し青銅で制作された仿製鏡(ほうせいきょう)とされています。2面の鏡は東京帝室博物館(現在の東京国立博物館)に四拾圓(えん)(現在の価値で約80万円相当)で買い取られ、現在も所蔵されています。一方、銀製のかんざしは出土後、行方が分からなくなっています。

■中国・唐と星野村との関係

 では一体、「チンのウバ塚」に埋葬されている人物は誰なのか。その謎を解き明かすのは、この塚から出土した2面の銅鏡の内、舶載鏡は、5月29日にご紹介した筑後の英雄である「大伴部博麻(おおともべはかま)」と深く関係しているとされています。ある伝承によると、博麻が自身の自由を犠牲にして日本を救った約30年後の帰国の際に、祖国に対する忠誠心や愛国心を称賛されて唐から与えらた、といわれています。さらに博麻の所有物である鏡が「チンのウバ塚」から出土されたことから、この墓に埋葬されている人物は「大伴部博麻」である可能性が高いと指摘されています。

 一方で、かんざしが出土したことから女性なのでは、とも考えられています。その点を踏まえると、「チンのウバ塚」の「ウバ」は母親に変わり子育てをする「乳母」だったのではないか。とすると「チン」は「朕」、つまり高貴な身分を意味する言葉であり、身分が高く裕福な家庭では「乳母」を付けるのが一般的だったことを考えると、当時13~16世紀後半まで星野村一帯を治めていた星野氏に関わる「乳母」が埋葬されているのかもしれません。しかし、この説は「チンのウバ塚」の築造年代と矛盾するので推測の域を超えません。

「八女市提供」

 「チンのウバ塚」は、華やかな史跡と異なり、豊かな緑に囲まれた一角にひっそりとその姿をとどめています。しかし、その塚には時代を超えて伝わる伝承と名前、そして国を超えた文化を感じさせる出土品が、この地に確かに存在した歴史を伝えています。「チンのウバ塚」は当館から車で30分ほどの場所にあります。その見た目から周囲の自然に溶け込み、見落とされがちですが、「ここに眠る人物は誰なのか」や「この地にはどのような歴史が流れたのか」と、訪れる人に問いかけます。ぜひ足を運び、その謎に思いをめぐらせてみてはいかがでしょうか。

■次回予告

 次回は八女市黒木町のとある集落に現存する「姫御前」ゆかりの文化遺産についてご紹介します。

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